Thursday, February 18, 2021

Dinner at Home

先週は2日間だけの出勤でした。両日共にBFが(1時間も車を運転して)迎えにきてくれました。Thank YOU!

今週は初5連勤ということで?BFがディナーを作って待っていてくれましたよ。Thank YOU! BFはお料理上手なので、もちろんすべてとても美味しかったです。作ってもらえるって幸せですね。心から感謝です。

月曜日
  • アスパラ菜としめじのパスタ
  • ルッコラと生ハムのサラダ(レモン&ハーブドレッシング)
  • シャンパン
  • くるみ入りバゲット


火曜日

  • キャベツとトマトをふんだんに使った黒毛和牛のカレー
  • ルッコラと生ハムのサラダ(レモン&ハーブドレッシング)
  • 煮玉子



水曜日
(写真撮り忘れました)
  • キャベツとトマトをふんだんに使った黒毛和牛のカレー(目玉焼き添え)
  • 肉の変わりに油揚げを使った青椒肉絲
木曜日
(写真撮り忘れました)
  • 揚なす入りパスタアラビアータ
  • クルミがアクセントのグリーンサラダ

Saturday, February 13, 2021

Nobody But You

新しい職場での勤務が始まりました。といっても今週は2日だけですけどね。でも、私のことを心配したBFは、両日とも(片道一時間もかけて!)迎えにきてくれてくれました。Thank YOU!

ここ数年(約3年くらい)、BFに頼りすぎてしまってます。負担になりたくないな。抱えきれないって思われたくないな。

「さよなら」がとてもイヤ。捨てられるのが怖い。要らない子になるのがイヤ。幼少期の傷が癒えていないからかな。だから「さよなら」の予感がすると、自分から「さよなら」を言い出しちゃうのかな。

しっかりと(精神的にも経済的にも)自立して、BFのお荷物にならないようにしなくちゃ。

大使館の化学兵器テロのトレーニングで学んだもんね。持っている「中和剤」は3セット。まずは自分に「中和剤」を打つ。そして自分以外の二人を助ける。もちろん自分に打ったあとは、BFに打つ。だって一緒に生きていきたいんだもの。おじいさんとおばあさんになるまで。Love YOU!

♪I don't wanna live without you
I don't wanna even breathe
I don't wanna dream about you
Wanna wake up with you next to me
I don't wanna go down any other road now
I don't wanna love nobody but you
Lookin' in your eyes now, if I had to die now
I don't wanna love nobody but you♪

Tuesday, February 09, 2021

New Clothes for New Office

 

長い冬休み(のようなもの)が今日で終わり、いよいよ明日から新しいオフィスでの勤務が始まるということで、少々暗い気分になっていた私を気遣い、BFが木更津のアウトレットにつれて行ってくれました。そして新しいオフィスに着ていく服をたくさん買ってくれましたよ。Thank YOU!

ここ数年(正確には3年)、収入が約三分の一に下がったことや、職業柄、汚れてもいい服を着ていたり、職場に制服があったりしたので、オシャレをすることをすっかり忘れて、いつも同じような服を着ていました。

以前の私は、ワクワクするような服を着て、美しい靴を履いて、ヒラヒラと蝶のように飛び回るのが好きだったはずなのに。ここ数年の私も、そうしたいときっと思っていたんだろうけど、そうできない現状にあってそう思うことはとても辛いことなので、そう思わないようにしていて、そのうちに忘れてしまったんだと思います。

だから今日、BFが「明日から着ていくお洋服を買いに行きましょー!」って提案してくれたときも、ピンとこなくて、「今、持ってる服でいいんじゃないかなぁ・・・」と思ってしまいました。太ってしまったから合うサイズもないだろうし、もう若くないから似合う服もないだろうし、ここ数年、服を買う楽しさを感じるセンサーはなくなってしまったし、正直言うと実は、その提案はちょっと憂鬱な気分にさせるものでした。

でも今日はとてもよい天気で、海ほたるから木更津までのドライブで元気が出てきて、アウトレット内のお寿司屋さんで美味しいお寿司を食べてさらに元気が出てきて。さぁこれで帰りましょうかねと思っていたら、BFがバーニーズニューヨークに連れていってくれました。

これまでにも何度も足を運んでいるお店です。店内にはステキなお洋服がたくさんあって、どれもこれも高額です。毎回、「それでもほしい!」っていう服がないので、今回もそんな感じで終わるんだろうなぁと思っていました。

でも、リラ。色(ベージュ)のテロんとした素材のセットアップがあって、着心地が良さそうで、いいなぁと思ったんです。BFに「試着してみたら?」と言われ、BFお勧めの色違い(ネイビー)も一緒に、試着してみることにしました。

ただ着てみると、残念なことに、なんだか似合わない。まぁいつものことよねと落胆して帰ろうかと思っていたのですが・・・そこからがすごかったんです。若くてオシャレな女性店員さんが私に似合いそうな、私が好きそうな服をたくさん持ってきてくれて、オシャレ大好きなBFと相談しながら次から次へと。それはまるで映画「プリティ・ウーマン」の試着シーンのようでしたよ!

このワイドパンツは好き!このブラウスはサイズが合わない!このトップスはこのパンツに合う!これはデザインがかぶるからいらない!これはちょっと冒険かもしれないけどどうしてもほしい!次々といろいろなアイテムを試着して、ものすごく気分が高揚しました。こんなに試着が楽しかったなんて、すっかり忘れていました。

結果、なんと7点も買ってもらっちゃいました。散財させてしまって申し訳ないのですが、ずっと忘れていた思い、ステキなお洋服を着る喜びを、思い出させてくれたBFに感謝しています。

明日から新しいオフィスでがんばります!

Sunday, February 07, 2021

I AM LOVED

保育園に通っていた頃、毎日とても寂しかったことを覚えています。お友だちはお迎えがきて次々と帰っていく中、私は、大きなスヌーピーのぬいぐるみと遊んだり、オルガンを弾いたりして、母が迎えに来るのを待っていました。それでもなかなか母はこなくて、待ちくたびれて、まだかまだかと、保育園の門の横にある木に登って待っていました。そして母の姿を見つけるとすぐに遊戯室に走り戻り、何事もなかったかのようなふりをしていました。「綾ちゃん、お母さんお迎えにきたよ!」と先生に言われて、本当は小躍りしたい気分なのに、「あ、そう」なんて子供ながらに平静を装っていました。本当は甘えたかったけど、お母さんは仕事で疲れているし、ご飯の支度もあるし、妹の世話もしなくちゃいけないし、私がはしゃいで騒ぐとおばあちゃんやお父さんにお母さんが怒られてしまうから、我慢していました。本当はとても寂しかった。妹はおばあちゃんと一緒に家にいられるのに、なんで私は朝から晩まで保育園に行かされるのかな、なんでお迎えが一番最後なのかな、もしかしたら私は要らない子なのかな、愛されていないのかなと、幼子心に思ったりしていました。小さな子どもだった私は、毎日寂しくて、小さな心は毎日傷ついていました。

両親は当時、今の私よりはるかに若く、仕事と子育てを両立しようと必死だったんだと思います。両親が休みの日には、あちこち連れていってくれたことをよく覚えていますし、たくさんの写真が残っていますし、写真の中の両親はとても優しく私を見つめていて、私を愛してくれていたんだということはひしひしと伝わってきます。もし両親が愛してくれていなかったら、私は生きてこれなかっただろうし、両親のおかげで今日まで生きながらえることができたんだということは、今の私にはわかります。でも、当時の幼い私にはそれがわからなかったんだと思います。そして勝手に傷ついてしまったんだと思います。

幼少期でなくとも、成人してからでも、傷を負ってしまった心が癒えるのには、とてつもなく長い時間がかかるように思います。こうして今、幼少期を振り返ってこのブログを書いている最中、自然と涙がポロポロとこぼれてきます。朝の7時47分ですよ、シラフなのにですよ。

傷が完全に癒える日はくるのかしら。それはわからないけど、希望はあります。ゆっくり確実に着実に癒えていると感じていますから。全てはこの約11年間、ほぼ毎日一緒にいてくれているBFのおかげです。雨の日も風の日も晴れの日も雪の日も、良いときも悪いときも、私が暴れても、すぐにポロポロと涙を流しても、甘えることができなくても、幼児に戻ったかのようにぬいぐるみを抱きしめても、どんなに私が不安定でも、いつもどんなときでも変わらずそばにいて支えてくれているBFのおかげです。Thank YOU! 

私は愛されていて、必要とされています。BFの長年の努力(=愛の注入)の成果です。そう感じることができるようになり、寂しさを感じることは少なくなり、心の平安を保つことができています。日々大切にしてくれるBFに感謝。そして命を与えてくれて大切に育ててくれた両親に感謝です。

Sunday, January 24, 2021

Motherhood

ずっと子供がほしいと思っていました。でも30歳で授かったとき、私は諦めてしまいました、いろいろな「育てられない」理由をつけて。

後悔しても仕方ありませんが、51歳、ホルモン治療中、閉経している今、「もしあのとき諦めないでいたら・・・」と思うことがあります。2000年2月29日が出産予定日でしたので、今年、21歳になりますね。息子さんだったのかしら、娘さんだったのかしら。たまに、不思議なもので幸せなときに、思い出します。たまにでごめんね。水子供養しなくちゃね。

私は恵まれています。肺に転移しているがんは奇跡的に縮小を維持していますし、毎日美味しく食事をとれますし、暖かい部屋で過ごすことができますし、このコロナ禍でも仕事があり、贅沢なことによい条件で転職することができましたし、愛してくれる人がいて愛する人がいて、本当に幸せです。いつも支えてくれているBFには心から感謝しています。そしてBFが授けてくれた子どもたちがいることで、私は心の平安を保つことができます。なんてありがたいことなんでしょう!

ここ数年、自分の健康のことばかりで余裕がありませんでした。そんなときに寄り添ってくれたのは長男のリラ。です。昨年後半から、変化の時期がやってきたと感じています。私の中には愛が満ちていて、注ぐ対象を求めていました。そんなタイミングで、次男のルカ。がやってきました。そして先日、長女のローズマリー。がやってきましたよ。Thank YOU! 

これからも一緒に、みんなで生きていこう。ママになれてよかった。私をママにしてくれたBFには心から感謝しています。

*****

長男リラ。


次男ルカ。と長女ローズマリー。


ローズマリー。がほしいと駄々をこねてます。結局、BFがローズマリー。を連れてきてくれましたよ。Thank YOU!


Monday, January 18, 2021

Age is Just a Number

  • 「25歳を過ぎた女性は売れ残りのクリスマスケーキ」
  • 「35歳でお母さんの羊水が腐る」
  • 「転職は40歳まで」
  • 「50歳が老後の運命の分かれ道」
  • 「男女共に60代が一番多い孤独死」
  • 70代前半で健康寿命が尽きる
年齢にまつわるネガティブな言葉はたくさんあります。もちろんポジティブな言葉もたくさんあるのですが、ポジティブよりネガティブのほうが溢れていて、馴染み深いように感じます。

で、思ったんですが、それ、世間の平均値だからかもしれないです。世間のマジョリティをグループにしてラベルを貼っているのです。マイノリティは無視して。

でも、年齢はただの数字です。みんながそう感じているはずです。でも世間のラベルがあるからそう言えないだけです。

だって、10年前、20年前、30年前・・・その頃の自分と今の自分を比較して、何が変わった? もちろん、知識や経験が増えたり、収入が増えたり、自己管理ができるようになったり、いいことは増えたと思います。でも、コアな部分、実は変わってないんじゃないかな。いつまでも幼い頃の自分がいて、その頃好きだったことやもの、そういうのは今に至るまで脈々と続いているんじゃない?

最近、目に入ってきたのはこれです。
"You are never too old to set another goal or to dream a new dream." - C.S. Lewis
(何歳になっても、別の目標を設定したり、新しい夢を見たりしてもいいんだよ)

そして忘れていて、最近、思い出したことはこれです。
"Stay hungry, stay foolish." - Steve Jobs
(ハングリー精神で、バカなことをやりつづけろ)

なんで今日これを書いているかというと・・・

今年52歳になりますが、転職が決まりました! コロナ禍で、高齢なのになんで?と思いますよね。私もそう思います。でもだとすると、年齢はただの数字です。新しいことにチャレンジしたい。かかってこい。見たことのない景色をみてみたい。一緒に盛り上がろう。なんだってできる。やってやる。・・・そういうやんちゃな好奇心が伝わったんじゃないかと。もちろん、今までの経験やスキルもあるとは思いますがね。

そう考えると、今後の人生がとても楽しみですね。まだまだ知らないことがたくさんあるし、やりたいことがたくさんある。何歳になっても、明日という日に、ワクワクしていたいです。そしてそのワクワクを末永く、BFと共有していきたいです。

Love you so much!

Saturday, January 16, 2021

Self Care

昨日はBFがお寿司を食べに連れて行ってくれました。Thank YOU!

美味しいお料理と日本酒をいただき、幸せな気分で帰ってきたのですが、家に入った途端、悪寒が襲ってきて、居ても立っても居られない状態でした。パジャマに着替えることもできず、外出着のままベッドの中に入り込み、丸くなりました。暖房の温度を上げて、加湿器をつけても、悪寒はひどくなるばかりで、震えが止まりません。BFが買ってくれた体温計で検温すると、なんと37.4℃。それから体温を測るたびに数字は上がっていき、最後の検温では39.3℃になっていました。悪寒と高熱以外の症状はないので、ただただベッドの中で寝返りをうって時間がすぎるのを待っていました。23時ごろになって、熱は38.3℃に下がり、その頃には寒気はなくなっいました。モゾモゾと起きて、パジャマに着替え、冷蔵庫の中からビタミンゼリーと水を取り出し、枕元にセット。またベッドに入り、寝返りをうちつつ、脱水症にならないよう水分を補給していました。そうしているうちに寝落ちしてしまったようで、目が覚めたときはもう明け方で、体温は36.6℃の平熱に戻っていました。

翌日のお昼すぎ、心配したBFが差し入れを持ってきてくれました。Thank YOU! あれだけの高熱が出たというのに、まったくその名残りはなく、BFは拍子抜けしてしまったようでしたが、ふたりでプリンを美味しくいただきました。

今、午後3時ですが、振り返っても、一体、何が起きたのか、さっぱり見当がつきません。同じものを食べたBFは無事でしたし。唯一私だけが食べたものは「サバ」ですが、もし「サバ」にあたったとしたら、下痢や嘔吐または蕁麻疹なんかも出るのではないかしら?そんな症状はなく、ただ悪寒と高熱だけだったので、とても不思議です。

コロナ禍で、職場でいろいろな変化があり、無意識ですがストレスがかかっていたのかもしれません。または何か不浄な霊に取り憑かれていたのかも。スピリチュアル的にはマイナスのエネルギーを追い出そうとしてるのだとか。何にせよ、高熱が出たあとは、内側から浄化されたような、そしてなぜか心もスッキリするように感じます。

ここ数年すっかり忘れていたようなこと、例えば散歩をしたり、部屋に花を飾ったり、ヨガをしたり、ブログを書いたり、音楽を聞いたり・・・心身ともに落ち着くことをまた始めようと思います。もっと自分を大切に。もっとBFや家族を大切に。

いつも支えてくれるBFに心から感謝しています。ありがとう。